『科学がきらわれる理由』
- 作者: ロビンダンバー,Robin Dunbar,松浦俊輔
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 1997/06
- メディア: 単行本
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著者は、科学がきらわれる理由、当時の状況(1990年代)として序論でこのように予想している。
- ガリレオがきっかけ(地動説)。人間が中心だったと思っていた世界を覆した。
- 科学嫌いの反動として、既存宗教を超えたカルト集団への傾倒、ニューエイジ神秘思想の勃興。
- 反進化論として、「創造論」がはびこっている。
- 病気やストレスから自分たちを救ってくれているようには思えない。科学は冷たくて知的すぎるように思える。
- 科学そのものが、男性支配の西洋文化帝国主義のまた一つの表れ。現状の不平等を維持することを主な機能とする資本主義の副産物。
- 今世紀の人間が引き起こした環境面での災難は、すべて科学の欠陥。
- 生命を操作する(人工授精など)科学への恐れ、規制すべきという動き
- 科学の冷たい論理は、いずれ音楽や美術や文学を消し去るだろうという認識。
(原文そのままではないです。私の適当なまとめ)
あれこれあれこれ書かれていたのだが、結論としては「科学は人間の直感に反しているから」というもの。確かに「地球の方が動いている」という地動説もそうだし、量子力学とか相対性理論とかもそうですよね。科学好きはそこに萌えるのですが、そうじゃない大部分の人にとっては「はあ?」という話でしょう。あとは「生物学者がもっている自然についての関心は、平均的な一般の人々の関心をかきたてるものとはかなり違っていることが多い。」というように、科学者のふるまいが人々の直感に反しているという言及も。
……しかし、科学が受け入れられない理由は、多くの人が思いつく「直感に反しているから」以外に出てこないのでしょうか……。
思い出してみたら、サイモン・シンらの代替医療解剖 (新潮文庫)(文庫化前は『代替医療のトリック』という邦題)でも、「代替医療がなぜこれだけウケるか」という理由のひとつに、「通常医療への失望」というのを挙げていた。そうであれば、ある代替医療が効果ないということを説得するときに、<科学的根拠に基づいた医療>という説明では納得されないだろう。
サイエンスコミュニケーションに関わる人間は、基本的に科学好きなので、世の中の人が科学嫌いだったり、忌避感を抱いているという前提を忘れてしまいがちだ。「科学、素敵でしょ!」というスタンスになってしまう。「科学が嫌われている」を前提にしなければいけないのかもしれない(小学生くらいの子どもは除く)。
ただ、著者はこうも説く。
「科学の手続や方法が日常生活でも使われているにもかかわらず」
このあたりが切り口になるかもしれない。