id:can-no 氏のこちらのエントリが私にとって刺激的で、それをきっかけにあれこれ考えている。
サイエンスコミュニケーション研究会に初参加して - Mapping the World -世界の描き方- Neuronと感性の日常がアバンギャルド 菅野康太ブログ
考えが発散しているのだけど、思いついたところから書いてみたいと思う。まずはこちら。
問題は、そこにオーディエンスがいるのか?という問題だろう。かねてから僕は主張しているが、現在のサイエンスコミュニケーションの問題は、入り口の戦略での失敗なのだ。情報をオープンにしたところで、それを見たいと思う人がどれほどいるのかと。 #scstdy
2011-02-18 03:04:40 via web
サイエンス・コミュニケーションが「入り口から失敗している(戦略か? 戦術か?)」というのは私も完全同意で、その入り口、フックとなる存在をどうしたらいいのかでずっとずっとずっと(以下延々続く)悩み続けている。実践上もそうだし、D論のメイン(のひとつ)でもあったりする*1。
意識して設計しているのは、他分野との組み合わせ*2。「サイエンス×○○」というもの。私の場合、一番多いのが「サイエンス×料理」だし、他に実践済みなのは「生活」「アニメ・漫画」「(理工系書以外の)書籍」「パーソナルヒストリー」あたりか。
ただ、この手法もある程度うまくいっていると自負はしているが*3今一歩、何かが足りないと感じている。
先日書いたとおり
軸足がサイエンスだと、どうしてもお説教くさくなり、陳腐になりがちだ。
そう、たまたまそこにサイエンスがあったのね、程度じゃないと、いわゆる科学好き以外の人に注目はしてもらいにくい。だから「サイエンス×○○」という方法はもっと「ひっそり」サイエンスを紛れ込ませないと、上記のような展覧会にかなうわけがないのだ。
なぜなら、科学ファン以外は科学系のタイトルがついた何かに参加する時間がそもそもない。学生時代の文系の友人でサイエンスに対する感度が高くて、科学の取り扱いがうまい人に聞いても、仕事やら家庭に関係する場合じゃないと科学に対する何かに触れる余裕がないという。「参加機会に対する言い訳」が必要なのだ。
さて、どうしよう。←と書いている時点でいろいろダメだ……。