内田麻理香ブログ:KASOKEN satellite

ブログというかお仕事日記というか身辺雑記というか。

「旧い」メディアの可能性

サイエンスコミュニケーションでは今や欠如モデルはいかんという風潮であり、一方向は旧時代的、双方向こそ万歳という話になりやすい。その流れを受けてマスメディアを利用した方式もあまり可能性をもって語られる場面が少ない(ような気がする)。

確かにウェブなどはこれまでにないコミュニケーションの形を生み出すと思うし、楽しそうなネタが満載である。新しいもの好きの私もいちいち首を突っ込んでいる。ただ、インパクトという面ではやはりマスメディアはやはり「マス」であるし、影響力という意味ではまだまだかなわないだろう。ウェブが「たまに大当たりする」ことがあるにせよ。いくら一方向だとはいえ、まずはコミュニケーションの「最初の一歩」は情報が届くことにある。

私自身はウェブ出身で今もウェブに身を置いているというつもりであるが、一方でテレビにも片足を入れるようになった。ウェブの可能性を信じているからこそ、この立ち位置でいられるのだと思っている。でも、たびたびテレビなどのマスメディアを通した「ほんの少しの活動」で「大きなレスポンス」を経験する。やはりマスメディア半端ないわ、と自嘲気味に感じてしまうのだ。

昨年「新・フジテレビ批評」で「テレビは理科離れをくい止めることはできるか?」というテーマで出演した。理科離れがあるのか?とかいう大前提の疑問もあるかと思うが、まあ若年層に関しては離れていることは確かだと今のところは考えている。事前にテレビ局で受け付けたアンケートの結果は、7割が「テレビは理科離れを食い止めることが『できる』」との答え。正直、意外。回答者層の偏りも考慮に入れるべきだとは思うが、テレビはまだまだ期待されているメディアなのだと思う。

ただ、現在、関わらせていただいている番組群を見て思うこと。科学の素材はどうやら「結果を見て驚かせる」ことに使われる傾向が多い。科学は素材そのものとしてもおもしろいから、その素材だけを「はい」と提示するだけでも十分成り立ってしまう。でも、この使われ方は「科学は答えを提示してくれるもの」「科学は答えありきのもの」という誤解を生んではいないだろうか? 科学のもう一つの側面であるプロセスを魅せるには、今のテレビは難しいのか?

……ということを番組内で話した。アナウンサーのおふたりは理系出身だったので「私たちも科学の醍醐味は"プロセス"だと思うんですけどね」となり、結果重視に偏りがちなテレビはもったいないですよね的な流れになった(ここ、アナウンサー2人と私と3人の意見が「理系寄り」で一致してしまって、視聴者置いてけぼりになってしまったかもねというのが生放送終了後のスタッフさんからの指摘)。

その番組の1ヶ月後にあったのが、「メディアの料理の仕方@サイエンスアゴラ2010」である。ここで進行役を努めた。各メディアの売れっ子コンテンツメーカーが集まって、その裏側を披露してもらうというシンポ。登壇者の皆様ひとりひとりの話がお宝もので、同じく「伝える」ことに日々七転八倒している身としてはもっと突っ込んだ内容を伺いたい衝動に駆られていたのだが、壇上だけ飛ばしてしまうのも……と自制する(とはいえ、参加者の方々もほんとはもっとディープな話が聞きたかったのかな? 物足りなかったかもしれない)

中でも、上の話の流れで絶妙な内容だったのが、TBS「飛び出せ!科学くん」のプロデューサー樋江井氏の話。番組のネタとしては「これ、やってみたらおもしろいじゃね?」的なノリ。そこから始まって、プロセスをともに視聴者と疑似体験するという形で番組を制作し、提供している。

なるほど。「科学くん!」はプロセスを見せることを意識してそこにこだわった番組だからこその魅力だったのか、と。

科学のプロセスを見せて、視聴者と一緒に疑似体験という番組はNHK教育の「すイエんサー」もまさにそうであろう。女の子たちは台本なしで課題に挑戦する。視聴者もあーでもないこーでもないと自分たちなりに答えを探る。

テレビだと科学の「結果」しか見せられない、のではない。おそらく、結果だけでも絵になるからそれで成り立ってしまっていたのだ。でも、プロセスを魅せるという切り口でも、テレビというメディアの可能性は大いに存在しているのだろう。

ネット中継がマスメディアのテレビに進出し、新聞も書籍も電子化の波が押し寄せている。メディアが変容している今だからこそ、変わらなきゃいけないこともあるだろう。一方で、「旧い」形のままだからこそできることを見逃してはいけないのかもしれない。