内田麻理香ブログ:KASOKEN satellite

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毎日新聞「今週の本棚」書評寄稿『夢みる教養:文系女性のための知的生き方史』

 11月6日の毎日新聞の書評欄に、書評(短評)を寄稿しました。対象本はこちらです。

夢みる教養:文系女性のための知的生き方史 (河出ブックス)

夢みる教養:文系女性のための知的生き方史 (河出ブックス)

 

  フェミニズムの視点から、文系女性にとっての教養はどう捉えられてきたか、そして文系女性は教養をめぐってどのように見られてきたか・扱われてきたかを描いた一冊です。

 帯に「女性はいつも、文化のお客様!?」と書かれていますが、上記の視座から見ると、実際女性はその通りであった、その構造は今も続いているのではないかと、はっとさせられます。

 日本における教養は、大正時代から見ると、まずエリート層に限定された人格主義があり、続いてその反発としてのマルクス主義が席巻します。大正人格主義では、古典として人文書を読むことが流行していたのですが、マルクス主義の後は出版不況となります。そこで注目されたのが、女性たちです。女性たちが読書によって教養を身につけることが推奨されますが、これはあくまで「読者」として歓迎されただけで、書き手になる道は閉ざされていました。雑誌「新女苑」では、読者投稿欄がありましたが、そこで選者として川端康成が果たした役割が詳細に描かれていて大変興味深い。詳しい話は本文を読んで頂きたいところですが、川端、なかなか罪深い……。もちろん、彼だけが悪いのではなく、時代の空気を反映していただけなのでしょうが。

 女性が職業人として自立するための「教養」は巧妙に排除されていたわけですから、職業に結びつく実学は女性の教養のうちに入りません。でも、戦時中は男性が少なくなるため、医師や科学者という職業婦人ももてはやされます。それと同時に、子を産み育てる女性としての大切さも強調され、国策として女性は調整弁として扱われるようになるのです。要は、男性が戦争から戻ってくるまでは職業婦人として、戻ってきたら家庭に入りなさいという意味。

 戦後の文学部の女性化、カルチャーセンターの流行、「自分磨き」の流れも面白い。著者は決してこれらを皮肉や揶揄の視線で見るわけではなく、女性が懸命に学問を身につけても「お客様」にしかなれない構造が未だに存在していることを露わにしてくれます。

 また、昨今は「役に立つ/役に立たない」学問について問われることが多いですが、戦後間もなくは「役に立たない」は褒め言葉でした。それは、「戦争の」役に立たないという意味だったため。今の「役に立たない」の意味合いとはかなり異なりますね。

 書評の最後に書きましたが、いまの理系女性応援の風潮と、戦時中の女性動員の構図が似ているようにも感じました。人口減少に伴い、これ以上増やせない男子学生に変わり、女子学生の理系への参入が推奨されていますし、実際あれこれアクションが行われています。ただ、これも「働き手」としては歓迎されてはいても、彼女たちが管理職や指導的立場になることまで求められているのでしょうか。
 その現在の理系女性応援企画でも「モテすぎる」とか「美しすぎる」とか疑問符をつけたくなるようなキャンペーンも少なくありません。これ、ひょっとしたら戦後の女性の教養はが「上昇婚の手段」(美智子皇后ロールモデル)として扱われていた影響が色濃いのかもしれない……など、あれこれ考えてしまいました。

 影響が色濃い、といえば、日本の「教養人」のイメージは、大正の教養派(ラファエル・フォン・ケーベルにはじまる、夏目漱石、阿部次郎、和辻哲郎寺田寅彦などなど)から受け継がれているのかなあとも。このイメージは人によって違うでしょうが。

 まあこんな感じで、中身が濃い一冊なので、文系女性だけでなく、日本の教養、学問のあり方全般まで思いを巡らせることができる、刺激的な書です。