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内田麻理香ブログ:KASOKEN satellite

ブログというかお仕事日記というか身辺雑記というか。

『くらしとからだ』no.91「有名人とっておき健康法」インタビュー掲載

 テーミスが発行する季刊誌『くらしとからだ』No. 91の「有名人とっておき健康法」にインタビュー記事が掲載されています。

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 健康の話をしているつもりが、自分の引きこもり体質、運動不足を暴露したものになってしまいました。もっと、身体のメンテナンスに気を遣わねば。

 この『くらしとからだ』は全国の薬局等で配布されているようです。もし、お手にとる機会がありましたらご笑覧下さいませ。

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ANAの企業内研修で講師

 ANA全日本空輸)の企業内研修の講師をしました。

https://www.instagram.com/p/BP9pbz9jeFl/

 カテゴリーが「リベラルアーツ」、「グローバル教養力」というお題でお願いします、とのことだったので、どうなるかと思いましたが。ノルマでもないはずの、この内容で、70名以上の受講者の方々がいらっしゃいました。恐縮です&ありがとうございます。

 文化ってなに? ということから、科学と文化の関係のお話をしてから、科学(科学技術)歴史、そして「普段感じる科学(科学技術)の疑問、そして不安」をテーマにワークショップという形という3部構成にしました。

 今回、仲介して下さった企業さんによれば、最近は「教養」というテーマでの企業内研修も需要があるとか。役に立つ/に立たない、などと言われていて、高等教育では肩身の狭い「(一見)役に立たない内容」でも、このように受け入れられていることを知るだけでも、個人的には嬉しいです。

 ワークショップを入れると、講師側ではなく、聴いて下さる方に「お願い」という形になるのですが、受講者の皆様が熱心で、しかも頭の回転が速いことが伺えて、講師側であったはずの私が教えられ、楽しんでしまうという構図に逆転しました。ありがとうございます。

 会場はこちら。

安全・運航情報│ANAグループ企業情報

 下丸子の住宅街の中に、巨大な建物がありまして。こちらを研修に使っているんですね。

 館内にの展示がありまして、個人的には萌えポイントでした。

 写真のヘリコプターはANAの前身、日本ヘリコプター輸送株式会社時代のヘリコプター(日本に現存する最古の)とのこと。そして、この年になって、ようやくANAの航空会社コードがNHである理由を知りました……日本ヘリコプター輸送の略だったとは! ANAの昔のロゴが、レオナルド・ダ・ビンチのヘリコプターだったのも、前身がヘリコプターの会社であったかららしいですね(別所で教えていただきました)。

 なんかもう……。"NH"の由来を「にほん、かな?」と適当にやり過ごしていた自分の頭の悪さが恥ずかしいです。

毎日新聞「今週の本棚」マガジン評『ケトル VOL.34』Eテレ特集・寄稿

https://www.instagram.com/p/BPRSKsmj0o4/

本日の毎日新聞の『今週の本棚』欄で、マガジン評を寄稿しています。「ケトル VoL.34」の「攻めてる」Eテレ特集です。わくわくする特集なのでぜひ。書店には既にないかもしれませんが、電子版では購入できます。 #book #magazine #review #bookreview #雑誌 #書評 #本 #ケトル #Eテレ

 毎日新聞の「今週の本棚」欄に、マガジン評を寄稿しました。

 ご紹介した雑誌はこちら。

  旧・NHK教育テレビ、現・Eテレ。昔も今も大好きです。一時期、Eテレしかつけていない時期があったのですが、そこでハマりました。朝から晩まで、一日中面白い。何が面白いかというと、「発見」が多いんですよね。そして、よくここまで挑戦するな……と、制作者側の、クリエイターとしての魂も伝わってくる。

 その後、『すイエんサー』には何度もお世話になって、その舞台裏を知ることを通して、クオリティの高さにも納得。『大科学実験』のプロデューサー、森さんは拙著

理系なお姉さんは苦手ですか? 理系な女性10人の理系人生カタログ

でご登場いただき、その背景も伺いました。他にも出演させていただいた番組もいくつか。

 とまあ、うっとおしい自分語りはさておき!! Eテレの番組で、最も印象深いのは、子供の頃に出合った『できるかな』であり、最初に頭打ち抜かれたのは『ピタゴラスイッチ』でしょうか。最近の『きょうの料理』の土井善晴さんの料理の哲学*1に裏付けられた回とか、平野レミさんの愉快な回も素晴らしい。『バリバラ』も突っ込むなあと感心して(しかも突っ込むだけでなく出来も良い)いたら、『ねほりんぱほりん』の「キラキラ偽装女子」とかあれこれ……Eテレの積み重ねた人形劇のテクニックをこんな風に使いますか? と驚かされます。おそらく、民放だったらできないだろうと思わせるチャレンジ。

 あと、知りたいという好奇心を駆動する軸があるからこそ面白いんでしょうね。

 なんだか、雑誌の紹介というよりはEテレへの愛を思う存分語ってしまった気がしますが(でも、まだ足りないよ)、そんなEテレの姿を余すことなく特集してくれたこの号の「ケトル」。電子版でしたらまだ読むことが可能です。ぜひ、ご覧下さい。

*1:哲学という言葉はうかつに使ってはいけないとはわかりつつ、あえて使わせてもらう

毎日新聞:今週の本棚『世界一美しい数学塗り絵』書評寄稿

 12月18日(日)の毎日新聞に、『世界一美しい数学塗り絵』の書評が掲載されています。

今週の本棚:内田麻理香・評 『世界一美しい数学塗り絵』=アレックス・ベロス、エドマンド・ハリス著 - 毎日新聞

 対象本はこちらです。

世界一美しい数学塗り絵-宇宙の紋様

世界一美しい数学塗り絵-宇宙の紋様

 

  大人の塗り絵が流行っているとはいえ、よくこの本を出版してくれたなあと。「数学は美しい」というフレーズはよく耳にしますが、私はそれを実感したことがない。以前、『考える人』の「数学は美しいか」という特集で、マガジン評を書きましたが

kasoken.hatenablog.jp

 この数学は美しい、ということを、私は死ぬまでに体感する機会があるのか、と思っていました。その願いを叶えてくれたのが、今回書評してくれたこの本です。

 数学の研究者(プロ、アマを問わず)や、世界的デザイナー(三宅一生や、カール・ラガーフェルドは、数学や数式をテーマにしたコレクションを出しています)でない者でも、数学の美を実感し、しかも創り出すことができる。

 塗り絵で大げさな、と思われるかも知れませんが、素人でも「それなりの作品」ができてしまうのです。数学塗り絵という形で、選ばれた人だけではなく、多くの人に数学の美への門戸を開いている。これは数学という学問だからこそ、でしょう。書評にも書きましたが

自分勝手に色を選んだお遊びに過ぎないのに、作品らしく仕上がるのはなぜだろう。おそらく、単なる自己満足だけではない。自分のオリジナルだからと評価が甘くなるのも否めないが、考えてみれば、これは数学塗り絵であるからもっともなことなのだ。本書に示されている紋様には、一定のルールがある。ランダムに色を塗っているつもりでも、知らず知らずのうちに、そのルールを体感し、結果的にそれに従うことになる。ルールに則った色づかいであるならば、美的効果が誕生するのも当然のことだろう。その意味で、本書は身体を動かすことで、数学の一端を知ることができる希有な書だ。

  というわけです。

 例えば、私の塗り絵ですが(塗り絵がお仕事に繋がるのだから、幸せな話だ)

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 これは、表紙にある「曲げられた鉄格子」をお手本通りに塗ってみたもの。絵心がないもので、最初はお手本に従う。

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これは四面体の星。対称性に則って5つの合同な正四面体を組み合わせた図→隣り合う頂点を線分で結ぶと、正十二面体になる、という図とのこと。これも表紙カバーにある見本通りに塗ったつもりですが、いつの間にか自己流になっている。まあこれはこれで良いかなと。

 そして、だんだん図々しくなり、オリジナルの色塗りもしたくなってくる。

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  これは正七面体のタイル張り。正六面体と違って、正七面体になると平面ではタイル張りできなくなる。曲面ならば可能、ということで二次元で現そうとすると、中心から離れれば離れるほど小さくなる。このあたりになると、もう好きな色で塗っているだけ。

 普段、絵を描かない人にとっては、良い気分転換にもなるし、しかも数学の知識まで知ることができるというお得ぶり。訳者の秋山仁氏の巻末解説がありがたい。各ページの元の解説はあまり親切とは言えませんが、巻末で「そもそもフラクタルとは」などの全般的なわかりやすい説明をしてくれますし、タイル張りとスペインのアルハンブラ宮殿のお話などを絡めてくれて、ここだけでも楽しめます。

 色鉛筆とともに傍らに置いておいて、塗り絵をするというのも楽しいと思います。私の色鉛筆は、ステッドラーの水彩色鉛筆(48色)です。色数の多い色鉛筆って、持っているだけで幸せになりません?

ステッドラー 水彩色鉛筆 カラトアクェレル 125 M48  48色

ステッドラー 水彩色鉛筆 カラトアクェレル 125 M48 48色

 

 

毎日新聞「今週の本棚」『2016 この3冊』 

www.instagram.com 

 平成28年12月11日(日)の毎日新聞に、書評員が「今年の3冊」を選ぶ恒例の企画に寄稿しました。今回は、どこの書評にも寄稿できなかった本(タイミングが合わず……などの理由で)を3冊選ばせて頂きました。

  有名人の違法薬物使用に関するニュース、カジノ合法化の議論など、依存症(アディクション)にまつわる話が世間を騒がせています。そのたびに、依存症者は「意思が弱い」「だらしがない」「快楽を求めているだけ」という眼差しが露わになっているように思えます。

 まず、そのアディクションとはどのような病なのか、という基本をおさえておくのに適切な入門書がこちら(今年出版されたの本ではないので紹介できませんでしたが)。

人はなぜ依存症になるのか 自己治療としてのアディクション

人はなぜ依存症になるのか 自己治療としてのアディクション

 

  その者が抱えるストレスやその苦痛を一時的にでも緩和してくれる薬物(アルコールやニコチンも)・行動(ギャンブルなど)の嗜好に出会うと、「有害性は認識しているにも関わらず」、自らの苦痛を自力で軽減(自己治療)するために繰り返し使用するようになった結果、依存症になる……というのが、自己治療仮説です。

 依存症になってしまうと、脳の回路など、既に心身が変化してしまっているので、自分の意思でやめようと思っても最早コントロールが効かない。だから、依存症者を責めても意味がありません(例えば、他の疾病であれば患者に対して「なんで病気になったんだ」と責めることはしないですよね。「自己責任」と言う人もいるようですが……)。

 ましてや、自己治療のための依存物(行動)であるならば、依存の対象を取り上げるだけでは、治療に繋がらないこともわかるかと思います。なぜなら、ストレスや苦痛が存在し続けるならば、「溺れている人から浮き輪を取り上げる」ことになってしまう。「このままでは死ぬ」「脳が萎縮する」などの脅かしも、たいして意味はないでしょう。自分を責めて自暴自棄になるか、下手をすると自死を選択してしまう可能性もある。依存症者の治療は極めて難しい。

 その自己治療仮説を一歩押し進めたのが、こちら。

人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション

人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション

 

  依存症は、自分の持つ、苦しみを「相談する」「協力してもらう」など、人に頼って解消するのではなく、人を信じられないために「物」や「行動」に頼ってしまうからではないかという「信頼障害仮説」を提唱しています。臨床医である著者は、世間に流布する依存症者のイメージと、自分が接してきた依存症者があまりにもかけ離れていることに違和感を抱き、本書を著したと書いています。

 早期に「薬物はいけません」的な啓蒙活動をしても、事後アンケートをとると、薬物に抵抗感が薄い生徒たちがいる。それは孤独へのサインだということです。虐待など目に見えやすい機能不全家族の場合もあれば、一見何の問題がないように見えたとしても、見えない生きづらさを抱えている場合がある。それを著者は「明白な生きづらさ」「暗黙の生きづらさ」と二種類に分けています。

  そして2冊目、

アディクションと加害者臨床―封印された感情と閉ざされた関係

アディクションと加害者臨床―封印された感情と閉ざされた関係

 

  こちらは、加害者臨床の立場から、あらゆる事例の事例を「アディクション」の一種ではないかと見なし、複数の共著者がそれぞれの立場から論を進めていきます。

 例えば、ハラスメント。パワーハラスメントの加害者は、自己評価が低く、自分を肯定して欲しいがために弱者に対してハラスメントする。そのときは、鬱屈した自信のなさが晴れて気分が良くなるので、その結果、嗜癖行動となる。その嗜癖行動を繰り返しているのがハラスメントなのではという指摘は「なるほど」と膝を打ちたくなりました。このように、身近な事例もアディクションの一種かもしれないと考えると、加害者側にせよ、被害者側にせよ、「人ごとではない」と思えるようになるのではないでしょうか。

 このように一筋縄ではいかないアディクションの問題。刑罰による厳罰化など単純な方針では、解決にはつながらないことは、容易に想像つくかと思います。人間関係や社会の歪みがもたらしているが依存症であるならば、「これは本当に病なのか」という疑問さえ湧いてきます。

 依存症者、家族ほか当事者の自助グループも成果を上げていると思いますが、そこに新たな切り口の一つとなるかも? と私が思うのが、3つめに紹介した「オープンダイアローグ」です。

オープンダイアローグ

オープンダイアローグ

 

  オープンダイアローグは、フィンランド統合失調症の治療で目覚ましい効果を上げている手法です。日本では、斎藤環氏がいち早く注目し、オープンダイアローグの伝道師として活躍されています。この本は、斎藤氏が毎日新聞の書評でも取り上げています。

今週の本棚:斎藤環・評 『オープンダイアローグ』=ヤーコ・セイックラ、トム・エーリク・アーンキル著 - 毎日新聞

 オープンダイアローグは、患者と治療者だけという関係だけで閉じず、社会全体が患者を受容するという思想に基づきます。このとき、患者が「この病の専門家」になり、治療者が「患者という専門家」に話を聴くため、ふつうの専門家ー非専門家関係が逆転しているような形になります。患者が自分の病を治療者に取り上げられることなく、主体性を発揮した個人になるのです。

 だからといって、治療者が専門性を放棄するわけではない。むしろ、治療者はこれまでの専門性に加えて、「オープンダイアローグを遂行するための高い専門性」が求められるので、より高い専門性を身につける必要があります。

 オープンダイアローグは、(1)非専門家と見られていた者が、主体性を取り戻して専門家になる (2)専門家同士で対話する、という形なので、サイエンスコミュニケーションのひとつの理想形が実現したというように私は見ています。これが、今、課題が山積しているアディクション関連問題の解決の一助になるのではないか、と。

 もちろん、フィンランドで上手くいったからといって、日本に輸入しただけで同じように成功するとは簡単に期待できません。包摂するコミュニティをつくる、といっても、日本特有のムラ社会を復活させるだけでは、むしろ逆効果だと思われます(特に、アディクションが人間関係、信頼関係がもたらす病であるならば)。

 ただ、関係性の歪みがアディクションを生むのならば、多様な背景を持つ人々をコミュニティを何らかの形で創出することが重要だろうと考えます。

科学技術社会論・柿内賢信記念賞(実践賞)受賞

 2016年度の科学技術社会論・柿内賢信記念賞(実践賞)を受賞しました。この柿内賢信記念賞は、「科学・技術と社会の問題」に関する研究・実践的活動を行う個人に贈られるもので、科学技術社会論学会が毎年選考・表彰するものです。

 2016年度の受賞者は、

特別賞:
村上 陽一郎 氏(東京大学国際基督教大学名誉教授)
−日本の科学技術社会論分野の成立に果たした先駆的かつ総合的な貢献に対して−

奨励賞:
Vincencio Eliana 氏(東京工業大学大学院社会理工学研究科)
「1981年の新自由主義的改革がチリの大学における天文学の発展に与えた影響の研究」

実践賞:内田 麻理香 氏
「科学技術の民主化に向けた科学技術コミュニケーションの研究」

公益財団法人 倶進会 - 表彰

の3名です。私は研究奨励費として35万円頂戴しました。ありがとうございます。

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 左から、科学技術社会論学会会長・藤垣裕子氏、選考委員会委員長・夏目賢一氏、Vincencio Eliana 氏、内田、倶進会理事長・勝見允行氏です。今年新設された特別賞を受賞された村上陽一郎氏は残念ながら急なご都合でご出席できず、記念講演も拝聴できなかったのは残念です。

 さて、私の「科学技術の民主化に向けた科学コミュニケーションの研究」とは何ぞやということですが。民主化という言葉は、本来は民主主義という政治形態が広がることを意味しますが、現在は「文化の民主化」など政治以外の文脈でも、「多くの人びとがアクセス可能になること」を指す意味でも使われます。科学技術と社会のあいだで生じる諸問題には多種多様なアクターが参画することが望ましく、それが実現すれば、科学技術社会論に関わる諸問題のより良い問題解決に繋がるという目的です。

 そのために、過去の実践および研究を継続して、科学技術に関心が高くない人びとにアプローチして、科学技術の民主化を目指すために、具体的には

(ⅰ) 過去に科学技術コミュニケーションと見なされなかった活動を中心に、新たなコミュニティ作りをした科学技術コミュニケーション活動の探索、及びその実践者へのインタビューの実施
(ⅱ) 科学技術以外の分野(教育や芸術など)で、公衆の参画を促す活動・政策に関する研究者を講師に招き、科学技術社会論の研究者を交えた研究会の開催
(ⅲ) 応募者の科学技術コミュニケーション活動の実践と、上記から得られた成果との相互のフィードバック 

 を計画しています。

 今回の受賞は、指導教員の石崎雅人教授をはじめ、科学技術社会論学会での過去のセッションで共同発表して下さった皆様、学会の内外で指導・アドバイスを下さった皆様のおかげです。そして賞を下さった倶進会に心よりお礼申し上げます。これを励みに、そして改めて気を引き締めて上記の研究を進めていきます。

 今後ともどうぞよろしくお願いします。

毎日新聞「今週の本棚」書評寄稿『夢みる教養:文系女性のための知的生き方史』

 11月6日の毎日新聞の書評欄に、書評(短評)を寄稿しました。対象本はこちらです。

夢みる教養:文系女性のための知的生き方史 (河出ブックス)

夢みる教養:文系女性のための知的生き方史 (河出ブックス)

 

  フェミニズムの視点から、文系女性にとっての教養はどう捉えられてきたか、そして文系女性は教養をめぐってどのように見られてきたか・扱われてきたかを描いた一冊です。

 帯に「女性はいつも、文化のお客様!?」と書かれていますが、上記の視座から見ると、実際女性はその通りであった、その構造は今も続いているのではないかと、はっとさせられます。

 日本における教養は、大正時代から見ると、まずエリート層に限定された人格主義があり、続いてその反発としてのマルクス主義が席巻します。大正人格主義では、古典として人文書を読むことが流行していたのですが、マルクス主義の後は出版不況となります。そこで注目されたのが、女性たちです。女性たちが読書によって教養を身につけることが推奨されますが、これはあくまで「読者」として歓迎されただけで、書き手になる道は閉ざされていました。雑誌「新女苑」では、読者投稿欄がありましたが、そこで選者として川端康成が果たした役割が詳細に描かれていて大変興味深い。詳しい話は本文を読んで頂きたいところですが、川端、なかなか罪深い……。もちろん、彼だけが悪いのではなく、時代の空気を反映していただけなのでしょうが。

 女性が職業人として自立するための「教養」は巧妙に排除されていたわけですから、職業に結びつく実学は女性の教養のうちに入りません。でも、戦時中は男性が少なくなるため、医師や科学者という職業婦人ももてはやされます。それと同時に、子を産み育てる女性としての大切さも強調され、国策として女性は調整弁として扱われるようになるのです。要は、男性が戦争から戻ってくるまでは職業婦人として、戻ってきたら家庭に入りなさいという意味。

 戦後の文学部の女性化、カルチャーセンターの流行、「自分磨き」の流れも面白い。著者は決してこれらを皮肉や揶揄の視線で見るわけではなく、女性が懸命に学問を身につけても「お客様」にしかなれない構造が未だに存在していることを露わにしてくれます。

 また、昨今は「役に立つ/役に立たない」学問について問われることが多いですが、戦後間もなくは「役に立たない」は褒め言葉でした。それは、「戦争の」役に立たないという意味だったため。今の「役に立たない」の意味合いとはかなり異なりますね。

 書評の最後に書きましたが、いまの理系女性応援の風潮と、戦時中の女性動員の構図が似ているようにも感じました。人口減少に伴い、これ以上増やせない男子学生に変わり、女子学生の理系への参入が推奨されていますし、実際あれこれアクションが行われています。ただ、これも「働き手」としては歓迎されてはいても、彼女たちが管理職や指導的立場になることまで求められているのでしょうか。
 その現在の理系女性応援企画でも「モテすぎる」とか「美しすぎる」とか疑問符をつけたくなるようなキャンペーンも少なくありません。これ、ひょっとしたら戦後の女性の教養はが「上昇婚の手段」(美智子皇后ロールモデル)として扱われていた影響が色濃いのかもしれない……など、あれこれ考えてしまいました。

 影響が色濃い、といえば、日本の「教養人」のイメージは、大正の教養派(ラファエル・フォン・ケーベルにはじまる、夏目漱石、阿部次郎、和辻哲郎寺田寅彦などなど)から受け継がれているのかなあとも。このイメージは人によって違うでしょうが。

 まあこんな感じで、中身が濃い一冊なので、文系女性だけでなく、日本の教養、学問のあり方全般まで思いを巡らせることができる、刺激的な書です。